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大黒柱

初めてこの家にやってきた頃、夏の暑い日のことでした。
主人が「この家のリフォームをやるんだー!」とはりきっていたので
なんとなく、そっと大黒柱にそっと耳をあてて
「リフォームをすると申してますが、よろしいですか?」と
お伺いをたててみたのです。
暑い日だった上に窓を閉め切っていたので、家中むんむんしていたのに
大黒柱はひんやりとしていました。
「私は良い木材を使った立派な家なのに
 今まで誰も見向きしてくれなくて、本当に哀しかったんだよ。」
というような気持ちが伝わって来て
私まで哀しくなり何故かほとほと涙がでてきました。
家はそのとき半ば死んでいるような気がしたものです。

リフォームもほぼ終わり、この春地震と原発の事故が起こったころ
まだ身ごもって5ヶ月の我が子が心配で
本気でフランスに逃げようと思いました。
でも主人をひとり家に置いて行く訳にも…と躊躇したので
大黒柱さんにまたまたお伺いをたてました。
すると
「今主人を1人にすると、とてもがっかりするだろう。
もし私を本気で守ってくれるなら、本気でこの家に住む人を守るよ。
まあ、放射能っていうのは経験がないからちょっと自信ないけど…
やれるだけやってみるよ。それに己が子だけ助かれば良い
というものでもないだろう」という声が伝わって来たのです。
(ちなみに木造住宅はコンクリートの家よりも気密性がよくないので
 そういう意味では放射能には弱い…のであります。
 この家が建った頃は原発なんてなかったものね)

それを主人に話すとたいそう喜んで
「そうだ、家を離れるのは良くないんだ!」と。
寂しがりやなのでよっぽど1人になりたくなかったのが本音だと思いますが
とにかくここに残り、家をしっかり守りながら原発に反対せねばと
決意したのです。

大黒柱とは、ときに家の主人を表す言葉でありますが
私の場合はまさに人生の選択をも示してくれるありがたい存在。
この家は絶対に魂が宿っていて、家を愛する人を守ってくれるんだと
本当に信じています。
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井戸と赤ちゃん

昨年の今頃は、玄関部分のリフォームをしていました。
土間に張られていたタイルを全部とり、水はけをよくするために
さらに掘り下げて、地面のレベル(水平具合)を整え
小石や防水シートをしきつめて土間をつくり
床の基礎も作り直し、フローリングとあがりかまちも作製。
玄関横の壁一面に貼られていた石をとりこわし、柱を数本たして補強…。
玄関の横にあるお手洗いに行くのに、いちいち靴をはかねばならない
大工事が3ヶ月続きました。

その間、玄関の横の座敷の基礎部分をよくみると
梅雨でたまった水が流れ込んでいることがわかりました。
木造の日本家屋に水や湿度は御法度。
シロアリを招く原因になります。
ただでさえ、うちは田んぼの横にど〜んと建っているし
地質も粘土質。水がたまりやすいみたい。
「水は低きにしたがって流れるよね」と言いながら主人と思案し
井戸のポンプを修理して、どんどんたまっていた水を排出。

減ってゆく井戸水を見ながら祖母の言葉を思い出しました。
祖母の家には井戸があり、叔父が同居しはじめるときに
「これから子供が産まれて、落ちては危ないから」
といって井戸を埋めようとしました。
滅多なことでは怒らない優しい祖母が
私の記憶ではたった一度だけ
「水を絶やすとだめ。跡継ぎが産まれなくなる」と強く反対。
しかし結局井戸は埋められ、偶然かもしれないけれど
叔父夫婦は子供をさずかりませんでした。
(でも今は自然と動物に囲まれて幸せにしています)

これと逆の発想をしてみると…
滞っていた水が流れたので
私は「こんなことしたら子供を授かるかもれない」と
ぼんやり思っていました。
そしてそれから半年ほどしたら本当に子供を授かりました。
これも偶然かもしれませんがね〜。
でも、水は生命のみなもと。
放射能で日本中のあらゆるものが汚染されている昨今
しみじみ、そう思うのです。



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日本の家に集う珍客

先ほど縁側で葦戸を拭いていたら、後ろで何やら獣の気配が。
振り返ると窓越しにたぬきさんが!!
「え!たぬき?」と思わず声に出してしまいました。
先方は「あ、どうも。みつかっちゃったな〜」
みたいな感じでゆうゆうと来た道を引き返していきました。
先日、夜に猫が聞いた事もないうなり声をあげていたのです。
それは猫vs猫の喧嘩ではない声だったので
たぬきかアライグマでも来ているのかな?と思っていた矢先。

我が家は平屋ですが「こしあげ」と呼ばれる2階部分があります。
そこは梁がむき出しで壁も床部分も土間みたいになっており、
昔は農作物やわらを乾燥させていたそうです。
夏には屋根が受けた熱がここにこもるため、1階は涼しい。
このこしあげの部分にアライグマがよくやって来ていたのですよ。
夏の夜になると「ずしり、ずしり、ずずず…」と音がして
動物だとわかっていても、なんだか怖い感じがしました。

極めつけは、先ほどの猫ですが
去年の今頃、母猫につれられてこのこしあげ部分に
2匹おいてけぼりにされた(生後2週間くらい)のを
救出して、ミルクをやり、エサをやり…で
今や立派なメタボ猫になっちゃったけど。

このようにあまりにも動物の出入りがあるので
屋根の隙間をさかん屋さんに防いで頂き
それ以降は動物の侵入が減りました。
屋根の隙間をふさいですぐに、夜中にガラス窓をコツコツと叩く音がするので
おそるおそる主人と懐中電灯で庭を照らしてみると
行き場を失ったメスとオスのアライグマが2匹
「せっかく彼女つれてきたのに、なんで屋根裏に入れないんだよ〜!?」
みたいな感じで庭を右往左往していました。

動物以外には、もちろんクモだってナメクジだって
ヤモリだって、間違って入って来てしまいます。
この間は洗面所で「シュルシュル」と音がしたので、見ると
ちびっこのアオダイショウが!!
さすがに私1人ではどうしていいかわからないので
扉をそっと閉めて、そのまま蛇に待っていてもらい
主人が帰宅してから外に出してもらいました。
もちろん、猫達のおもちゃになりそうだったから
見つからないように、そっと。
蛇がうちに入ってきてくれるなんて、縁起が良さそう!と思ったら
しっかり良い事もあったりしました。

季節ごとに違う鳥がやってきたり、鳩のご夫婦が朝食を食べに来たり
こうして色々な動物たちがやってきてくれるのも
周囲に豊かな畑や田んぼ、たくさんの木が植わった庭があるからです。
庭木を切ってしまったり、田んぼがなくなったら
こういう珍客も来なくなってしまうんだろうな。

ナメクジの侵入とかは「げっ」と思われるかもしれませんが
外と内の区別が曖昧な日本家屋は、常に風通しよく
対流しているかんじで過ごしやすいです。
これに慣れてから密閉した空間だと本当に息がつまっちゃうくらいです。


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菖蒲

うちには門から玄関までのアプローチの前庭がひとつと
お風呂から眺められる中庭と
床の間のある和室から眺める坪庭の3つがある。

特に中庭は、私がこの家に住み始めた当初は
積年の雑草と落ち葉が30センチくらいたまり
地面なんてちっとも見えなかった。
灯籠も何故かへんちくりんな、不安定な場所にあった。
(なので移動、がこれまた激重い…)
とりあえず、ナメクジの温床となった雑草と落ち葉を取り除くも
長年日光があたらなかったことに加え
お風呂からの下水もそのまま庭に排水されていたので
地面は全体的にぬかるみ、泥沼状態…。
それでも「夢は大きく、理想は高く!」なので
京都のお寺の庭などを参考に「いつかはこんな緑ばかりの庭を…」と
あまり植物を増やさずに、自然に生えてくるシダなどを生かしつつ
雑草をひたすら抜き続けること3年め。
雨が多いことが幸いして全体的にずいぶん苔が生えてきた。

日本の庭なので、基本は緑で統一したいが
唯一植えることを自分の中で許している花、それが菖蒲。
凛として青い姿に、かくありたいと思う。
3年目の菖蒲は去年より時期は遅いけれど
2つも花を多くつけた。
そのうちもう少し増やしてみて光琳の画みたいな庭を作りたい。
あ、あれは杜若か…。
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花のある暮らし

近所の産直市場はお花が豊富。
ぱちっと目が合うお花と出会えた時は、いい感じに生けられます。

今日はパリジェンヌのお花の生け方にインスパイアされ
洋っぽくマスで生けました。
これにはちょっと理由があって
このバラは3本で160円とかなりお手頃価格だったのに
何故か誰にも見向きされず
横の花びらが茶色く花もよく開いてしまっていたのです。
納品した農家さんが丹精込めたお花を撤収するのは見ていて本当に忍びないです。
「生け花としてなら枯れかけてると目立つけど、
ブーケっぽく生けたら大丈夫では?」
と思い3束全部頂きました。
これ全てで480円です。
都会のお花やさんで買ったら何倍もするのでしょう。
こういうのも、田舎暮らしのメリットのひとつ、うふ。
主人いはく「こんなのフランスの花屋で買ったら3000円くらいするよ!
こんな花が家中にあるって、すごいステイタスなことだ」と喜んでくれます。

生け花のお稽古では毎週違うお花を生けるので
特に冬場は持ちが良いため、うちでは家中に3つも4つも生け花があるのです。
もちろんそんな沢山ではなくても、たった一輪でもお花があれば十分。
鳥のさえずりを聞きながら可憐な佇まいを見つめていたら
何も要らなくなっちゃう。
本当に、幸せなひとときです。
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家しごと

我が家では季節によって、やらねばならない仕事があります。
例えば初夏には障子を葦戸に変えたり
春先には無垢の床にオイルを塗り直したり…。
時期に応じて計何十本とある庭木の剪定とかetc...。
その中でも大好きな仕事のひとつが梅シロップづくり。

越して来て最初の年は、大粒の南高梅が産直市場でたくさん売っていたので
「む〜さすが和歌山が近い!! 」と、大興奮。
シロップのみならず、梅干しにも初挑戦しました。
去年は確か雨が少なかったからか、梅たちは若干小粒。
そして今年は先日の台風のせいで、ずいぶん梅も落ちてしまったようで
なかなか思う様な大きさの梅と出会えません。

それに(こういうこと書くと風評被害になるのかも、すいません)
ドイツ気象庁の予測によると、
梅雨前線が停滞しているときには、関西にも放射能の雨が降っているので
こちらの梅だって、もちろん他の農作物もすべて
放射能が微量ですがかかっている筈。
今年は特にお腹に赤ちゃんがいるので躊躇しましたが
やっぱり漬けたくて、漬けたくて買って来てしまいましたよ、青梅。
青梅ってみずみずしくて、ふっくらしてて私にとっては
女学生みたいに可愛い。
水につけると、細かい毛が水分を跳ね返して美しい銀色の膜をはります。

こうやって自然を感じながらの家仕事をしてると
「去年はああだったのに、今年はこうだわ」みたいなのが増えて
気候の変動とかに敏感になる気がします。
たとえどんな偉い学者が「温暖化なんてない」と言っても
そんなのあきらかに嘘だってわかるでしょうね。
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ピトレスク

築約70年になる「しころ造り」の古民家に暮らしはじめること2.5年。
その間に、残念なことに
いくつかの日本家屋がこの地域から姿を消していきました。
そんなお家たちから箪笥や建具を頂いたりすることが多々あります。
下の写真にある、リビングと玄関を仕切る葦戸もそのひとつ。
櫛の目みたいに細かく編まれた葦の一本一本に
手仕事の美しさを想いながら埃を落とし、はめてみました。
リビングの椅子に座って
強すぎるくらいの陽射しが照らし出す、玄関わきの笹たちが
戸の隙間から揺れるのを眺めると
何とも絵画的でうっとりします。
「家は夏をむねとすべし」と言ったむかしの人のことば通り
日本の家はなんと、夏が似つかわしいことでしょう!
大切に守って行きたいと思います。

さて、主人が殆ど1人で一生懸命リフォームしてきた我が家が
雑誌に載せて頂けることになりました。
2011年6月20日発売の「天然生活」(本誌)です。
みなさま是非ご覧下さいませ。

願いはいつも、これ以上古民家や日本家屋が壊されることなく
慈しまれ、末永く住む人を守り続けてくれんこと。
だって、日本から日本らしい家がなくなったら
残念じゃないですか、ね。

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リフォームのご相談にのります

今では入手困難な貴重な材木や、失われつつある匠の技が
たくさんつまった日本家屋。
しっくいの壁に、瓦の屋根。
時を経た大きな大黒柱がそこに住まう人たちを優しく見守って来た日本家屋。
これらは核家族化、住む人の高齢化、若者の価値観の変化などの
様々な要因によって日本から少しずつですが
確実に失われつつあります。
いちから新しく日本家屋を建てることもできますが
今ある、活かされていない日本家屋を守ることもできるはず。
「日本家屋のリフォームってとても高いのでは?」と
お考えの方もいらっしゃると思いますが
家の状態によって、意外と低コストで実現することだってあります。
主人が約3年かけておこなったリフォーム(キッチンなどの水回りを含む)の中で
何かご相談にのれることがあれば、そしてそれが
日本家屋を守る事につながるのならば本望です。
ご興味のある方はお気軽にメール下さい。
もちろんご相談は無料です。

連絡先はこちら
PCメール:aureliecharmante@yahoo.co.jp


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未曾有の。

あまりにも大きな出来事の渦中にいると、
人はそのことの重大さをきっと、おしはかれない。
アンティークの着物を販売しているときもよく思ったものだ。
「戦時下にあって、なぜにこんな美しい着物が生まれたのだろう?」と。
それはもちろん戦争が遠くの国で起こっていた大正・昭和初期の着物だったけれど
それにしても、だ。

そして今同じ日本で起こっている出来事はそれと同じような気がしている。

震災があった東北と関東からうんと離れた所にいる私と主人だが
特に今回の原発の事故は人間が犯した過ちの歴史を
ゆうゆうと塗り替えてしまう惨事になるかもしれない、
つまり「チェルノブイリを越すのではないか」と
事故の当初からハラハラしながらテレビの無い家で必死に情報をかき集めた。
政府は言葉足らずな情報ばかりを告げるだけで、知りたいことは教えてくれないので
私と主人は原子力資料情報室という、非常に信頼できる情報を発するNPOを見つけて
毎日ここで行われていたプレスカンファレンスや原発設計者および
放射線医の説明を息をのんで聞いていた。

はっきり言って、もしも私が妊娠していなければ
原発のことは、今ほど気にとめなかったと思う。
けれど私は自分の命にかえてでも守るべき新しい命を宿していて
生まれてくる赤ちゃんに
太陽の下おおきく息を吸って、歩いて、水を飲む。
こんな当たり前のことですら、当たり前でなくなってしまったくらい
汚染された地球を残してしまったことを
心底、申し訳なく思って涙がたくさん出た。

それに原発の事故がチェルノブイリと同様の大爆発を起こせば
700km離れたこちらだって高度放射能汚染区域に入る。
私の宿した胎児はやっと7ヶ月。
まだまだ出来上がっていない器官がたくさんある。
放射線はDNAの結合を傷つける。
その傷を人間の体は修復しようとするが、まれに間違って修復することがある。
それがガンの原因になる。
それにもしも間違った遺伝情報の配列を胎児である我が子が
繰り返してしまったらどうする?
と考えると、目の前が真っ暗になった。

「チェルノブイリは事故発覚の2日目から石棺を始めたのに、
なぜ政府も自衛隊もなにもしない?」
と主人が憤っていた。
自衛隊がヘリから注水しようとして放射線量が高過ぎて中断した日
まだまだその大爆発の危険性があった頃なので
いっそ、しばらくフランスに逃げてしまおうかと思ったけれど
自分の子供だけが助かればいいってもんじゃないし
これは放射能との長期戦になることが何となく判ったので
むしろ日本に留まって脱原発の運動をしようと決めた。

何事にも冷静に対処し、
大したことなく振る舞うのは日本人の美徳だと思う。
だけれど、例えば闇雲に怒りちらすことと
正しくないことに声をあげることとは全然ちがう。
これはもう、今声をあげないと
私達はまた同じ過ちを繰り返すにちがいない。
せめて次世代を担う子供や赤ちゃん、そしてそれを育む女性には
正しい情報を伝えてほしい。
そうすれば少しずつ防げることだって、きっとあるのに。
そんな気持ちで毎日を過ごしています。

ご興味のある方は下記のURLから住民避難拡大を求める要望書に
ご署名頂けたらと思います。
どうぞよろしくお願いします。
http://www.jca.apc.org/mihama/fukushima/signature110328/signature110328_1.htm

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善き人のためのソナタ

中古のプロジェクターを入手して以来
リビングがミニシアターと化している近ごろ。
何年か前に試写で見たことがあった「善き人のためのソナタ」。
あの時も涙がでたが…
やっぱり、やっぱり良い映画だった。

舞台は1984年、ベルリンの壁崩壊前の東ドイツ。
主人公は、当時国民全体を監視していたシュタージという
監視機関のヴィースラー大尉。
ある劇作家と女優カップルが反体制であることの証拠を見つけるように、と
監視を命令されることで物語が始まる。
冷徹そのものだったヴィースラー大尉が、このカップルの監視をしていくうちに
次第に人間らしい感情を取り戻していく。
そして最終的には、自分のおかれた立場を越えて
この劇作家の逃亡を見逃してやることに…。

大尉の、まさに氷のような心を解いていくのが
物語中で効果的に現れる芸術の数々(ブレヒトの一節、
タイトルにもなっているピアノソナタ、芸術家たちの自由な思想などなど)
劇中、最初は無慈悲、冷血漢そのものだったのに
彼の表情に、次第に焦りや孤独などがにじみ出てくるのがいい。
大尉役のウルリッヒ・ミューエは
ほんっとーに素晴らしい俳優だな、と思っていたのに、
もうお亡くなりになっている。
残念です。
(実際に旧東ドイツ出身の俳優さんだったそう)

歴史映画なら、特にそれが戦争や政治に関することなら
ヒロイズムを全面に押し出して、涙を誘うことも
ただ残酷さだけを際立たせることもできる。
けれど、芸術という一面からあるひとつの事実を照射して
過去の出来事を、観るもの一人ひとりの心の中に再現させたところが
この映画の最も素晴らしいところだと思う。
何よりこの映画には希望と、指針がある。
どんな人も本当のところでは悪人になれないし
芸術の力で眠っている何かを呼び覚ますこともできる、という。

これは人生の中でもベスト10に入りそうなくらい、
好きな映画です。
ラストシーンはドイツ人ならではの寡黙なウィットに富んでいて最高。
http://www.albatros-film.com/movie/yokihito/intro.html

ある学芸員の方の言葉を思い出しました。
「美術館を一歩でて、これまでの価値観が
 がらっと変わってしまうほどのインパクトあるものが芸術ではないか」
この映画は、私にとってはまさに芸術に値する映画。
ますます美しいものが秘めた力を信じたいと思います。
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